それは、今から一年ほど前のことだった。

ミドリへ

 今まで、身勝手でがさつなおれを文句ひとつ言わずに支えてくれてありがとう。
 ろくに大事にもしてやれなかったけど、あなたのおかげで幸せな日々を過ごせたことに今さらながら気づきます。
 振り返ると、一緒に色んな町に行ったもんだよね。箱根や富士山に登ったのも今となっては良い思い出です。
 もしミドリに先立たれることがあれば、おれも終わりかなと覚悟していました。

ミドビンカ

 

私事になるが、長年連れ添った愛車ミドリビンカが最期の時を迎えた。

2015/1/16(金)午後、冬の日差しが斜めから頬を射す。

一週間の業務もあと数時間で終わりだ。僕は建物に立てかけていたミドリビンカにまたがり、次のデリバリー先へ向かう。

「カキン」

鋭い感触が尻に響いた。あ、ヒビが入っていたサドルがとうとう割れたかな?と思いつつも、とりあえずそのまま走った。

「チーン!チーン!」

自転車のベルをつけたバイクが目の前を通り過ぎる。そんなことをするのは同業他社のナンチだけだ。髭面で黒ずくめで金のアクセサリーがギラギラしている死神みたいな風貌だが、バイクにはてるてるぼうずをぶら下げているチャーミングなやつだ。

ナンチ

 

彼は僕の自転車によくイタズラをする。ある日同じビルの中で会った時、「パッションさんサドル換えましたね?」と言うので、え?ずっと同じだよ?と答えると、「いや…なんか変わった形のサドルになってましたよ。」と言ってそそくさと去って行く。

なんか怪しいな~と思ってビルから出てみると、

いたずらサドル

 

こんなことになってたり。
またある時は、僕のサドルのヒビ割れにバンソコを貼ってくれていたこともある(笑)、優しい男だ。

そのナンチが過ぎ去ったあと、サドルよりも全然下の方からきしむ音が聞こえる。イヤな予感がして停まって見てみた。すると

BBシェルのラグとシートチューブがつながっていない!!

…………とうとう恐れていた時が来てしまった。
だが意外と冷静だった。
ゆっくりとならまだ走れるな。
残りの業務が完了するまでは添い遂げよう。
立ちこぎをすると、シートチューブがゆらり、ゆらりと、夕陽を浴びてメトロノームのように左右に揺れた。
こいつと一緒に走れるのも今日が最期か。

(正直、ナンチのイタズラか?!と一瞬だが思ってしまったことをここで懺悔したい)

今までの思い出が駆け巡る。

「カラビンカ」で知られる九十九サイクルさん。
僕が語るのもおこがましいし、説明するまでもないだろう。

九十九サイクル

 

そこを紹介してくれたのは、当時オレンジ色のカラビンカピストに乗っていた同僚だった。ズバ抜けて速い上に走ることへの見栄っ張り意識を一番強く持っていたメッセンジャーで、一緒に随分おバカなことをしてきたが「心の師匠」と言える存在である。名はアキラという。

今から10年近く前、折しもピストブームの真っ只中。中古で手に入れたトラックレーサーのフロントフォークにブレーキ穴を空けてもらいに行ったのが最初だった。

ご主人の田辺さんは、帽子を斜めにかぶりメガネを鼻の頭にちょこんと乗せ、にこやかに迎えてくれた。フレーム製作のオーダーを抱えながらも、部品の改造からママチャリのパンク修理までこころよく対応してくれるビルダーさんだ。

ある日なんか近所のおばちゃんが「なんでもいいんですけど、安い自転車ありますか?」とやって来たことがあった。その時お店にいた常連達は一瞬ギョッとしたが、田辺さんは「あぁ、それなら駅の方に西友がありますから、二万円ぐらいであるんじゃないかなあ?」と、ずらしたメガネの奥からやさしい目で答えていた。

一見、どの町にでもあるような自転車屋さんにも見える。

九十九サイクル修理看板

 

開店当時からあるという昭和感あふれる看板が迎え、敷居の高さはまるでない。もっと言うと、散らかっている親戚の家に来たみたいな安心感さえ感じる(スミマセン)。
 これは、ニコラスバイクワークスにも通じる(25チャンニモスミマセン)。

寡黙なスタッフのナガサワさんが真剣な眼差しでママチャリの整備をしているかと思うと、すぐ奥の板金工場の様なスペースでは競輪選手のフレームが作り出されている。
 ここのトラックレーサーを求めて、ピストマニアで知られるエリック・クラプトンがふらりと訪れたという話は有名だ。

ブレーキ穴を空けてもらってから一年ほど経った頃か。
 やはり業務中であったがそのフレームが折れ、修理に持ち込んだ時のことだった。
ダウンチューブが破断してトップチューブにもダメージを与えていた。2本差し替えるなら他のフレームを探した方がいいかもねえ…ということだった。

そうですか……。

しばらく他の作業をされていた田辺さんは、ガッカリしていた僕を不憫に思ったのか、ふいに

「うちで作ってみるかい?」
と声をかけてくださった。

え?……イイイイイインデスカ?!

それまで僕はカラビンカフレームをオーダーしたいと考えたことは無かった。というのも当時からオーダーが出来ないことでも有名だったからだ。競輪選手のオーダーで手いっぱいで、基本的に一般の受注はストップしている状況が今も続いている。

最近知ったのだが、実はクラプトンが訪れた際にも抱えているオーダーを優先するために丁重にお断りしていたらしい(!)。

てっきり、凝ったフルオーダーをして帰国したものとばかり思っていた。彼が所有しているというカラビンカのフレームは、おそらく中古か何か別ルートで手に入れた物だろう。かといって田辺さんは、よく勘違いしたラーメン屋なんかにいる様な高飛車な職人とは違う。どんな有名人だからって特別扱いはせず、フェアにお客さんを大事にする方だからなのだと思う。

とはいっても、天下のエリック・クラプトンである。僕も10代の頃、クリームをよく聴いていた。
「オヤッサン、ほんとにクラプトンて知ってたんすか?!…マイケル・ジャクソンとかよりスゴイんですよ?」と言いたくなる(笑)。

クラプトンが帰りの飛行機の中から眺めたTOKYOは、
きっと涙でにじんでいたに違いない。

それなのにそれなのに、まさかの展開である。

身体の採寸をして頂き、無造作に箱に積まれた色見本のチューブをじっくり眺め…あまりに突然のことにドキドキしながら時間をかけて色を考えた。

色見本チューブ

 

結局、好きな緑色にした。そしてシルバーで漢字ロゴ(篆書)をダウンチューブにのみ入れてもらうことにした。

半年ほどして完成した。カイセイ019という、一般人には剛性と柔らかさのバランスがちょうどいいクロモリのパイプで、丈夫で身体にやさしい。一見、そば屋とか酒屋の実用自転車の様な地味な色だが、朝日があたるとギラリと輝く深緑でとても気に入った。

自転車に求める要素は人それぞれ違って当然で、ファッションとしてやオモチャとして乗るのでもいいとは思う。僕はほとんど趣味では乗らないので、まずは商売道具としての機能性が必要だった。どのビルダーさんのフレームがいいとか合うとかなんて生意気は言えない。それ以前に正直よく分かってもいない。

ただ分かるのは、自分が気に入っていればそれ以上はないし、自分が信頼する人の手によるものなら大丈夫と思えるという事実。特に仕事で命を預けて乗る上で、そういった安心感はとても重要になる。

BBシェルの裏に刻印されているのは製造年月日で、08/08/2とある。6年以上乗ったことになる。どれだけのオーダーをこいつに支えてもらったことか。
業務以外にも、トラックレースやヒルクライム、仮装ライドでも常にこのフレームと一緒だった。

ベロシティ

 

紫陽花とミドビンカ

 

仮装ライドwithミドビンカ

 

間違いなく、僕の一生でこれ以上乗る自転車は無い。

金曜日の午後、最も業務に影響の少ない時を選んでしずかに身代わりになってくれた。
ゆっくり走りながら、「おれも一緒に引退かな…。」との考えがよぎった。

だが同じその時、同僚の火の玉兄弟チカッパがビシバシ走り回っていた。前日、ヒザに痛みを感じ病院に行っていたのに、信じられないオーダーをこなしていた。アキラ以来、僕が一番刺激を受けるメッセンジャーだ。

ちかっぱ

 

他社で誰だか知らない地味なメッセンジャーでも、モリモリ走ってる姿を見かけるとそれだけで胸を打たれる。無条件にかっこいいと感じる。そのインパクトを受け合いたくて僕はこの仕事をやっているんじゃないかと思う。だからこそ続けている間は自分もそうありたいと考えている。逆に、そう思えなくなったらスパッと辞めるつもりだ。

ヒザが壊れるかもしれないのに全力で前に進んでいるやつがいるのに、フレームが折れたからって気持ちも折れてる場合じゃないなと気づかされた。

翌1/17(土)
 電車で九十九サイクルに見てもらいに行った。

だがやはりもう最期だった。

さんざんこき使ってきたわりに、充分もちこたえてくれた。大往生だと言える。
覚悟はしていたつもりだったが、途方に暮れた……。

しばらくして、田辺さんが工房の奥から一本の白いフレームを手にたずさえて現れた。

「これを使うといいよ。」

それは訳あって競輪選手から出戻ってきたフレームだという。
「サイズは合うと思うから使ってよ。」と。

え?……イイイイイインデスカ!!
(デ・ジャ・ヴュとはこのことだ)

「うちにあっても邪魔なだけだから、ゴミが減って助かるよ~。」と、ずらしたメガネの奥で目尻をしわくちゃにして笑った。

それはほとんど新品といえる状態で、真っ白なフレームにロゴはシルバーでKalavinkaと入り、ヘッドバッジは外されていた。チューブは8630Rという固くて反応のいいパイプが使われているプロ仕様であった。

ネットオークションで売り飛ばせばかなりの値段がつきますよ!という僕の失礼な冗談にも、目尻にしわを寄せ笑って流してくれた(恐れ多いにも程がある)。

田辺さんの目分量による見立ての通り、ヘッドチューブは僕のフォークがぴったりそのまま使えるサイズだった。そしてミドリにつけていたイタリアンのヘッドパーツもそのまま使える様にと、あっという間にヘッドチューブの内側を削り、内径を合わせてくれた。
 ナガサワさんにはBBの乗せ換えまでして頂いた。しかも、中に水がたまってグリースが流されていたので、BBシェルの裏に水抜きの穴まで空けてくれた。なんか、歯医者に行ったら歯を磨かれてしまった的な恥ずかしさである。

あまりのことで僕はただアワアワ立ち尽くしている間にも、お二人はスパスパと作業を進めていく。

たまたまお店にいたナカムラさんというお客さんも一緒に作業を見守っていた。田辺さんは、ナカムラさんのことを呼び間違えて「ナガサワさん、」とか話しかけて世間話をしていたが、慣れているのか本当のナガサワさんはそれにこたえず黙々と作業に集中していた。そのコンビネーションがおかしかった。
 田辺さんにはフレームにワックスまでかけて頂き、ナガサワさんは寡黙に迦陵頻伽シールをヘッドチューブに貼ってくださった。

※ついでに、マニアの間でよく語られる「カラビンカトリビア」の真実をいくつか。
 ヘッドバッジのストックが残りわずかで、多くのメーカーと同様にシールに切り替わるという噂。確認してみたところ、選手用のは安全面も考慮してすでにシールになっているそうで、一般のお客さん用には今まで通りのヘッドバッジで製作されるそうだ。

迦陵頻伽バッジ

 

「うちの(田辺さんの奥さん)がメガネをとっかえひっかえして作ってるよ。」と笑う。
あと「七宝焼き」と説明されることがよくあるが、それは間違いだそう。
(まあフレームの性能に何ら変わりはないことだが)

とっくに営業時間は過ぎていた。
            おまけにみかんまで頂いてしまった。

失礼かと思い作業中の写真撮影は控えたが、まさに職人技だった。

一応書き添えておくと、フレームが折れたからといってこんな対応をして頂けることは通常あり得ない。巡り合わせが良かっただけだ。(そしてこんなことは公開するべきではないかもしれないが、工賃すら一切受け取ってもらえなかった)

電車での帰り道。

二つのフレームを両手に抱え、僕は気持ちが落ち着かなかった。大好きだった深緑色のフレームが、パーツが外されて随分と軽くなった姿で傍らにある。もう二度と乗ることはないだろう。まるで遺骨を持って帰る気持ちである。

そして僕の傍らにもうひとつ、とても上品で仕事で使うにはキレイ過ぎるピストバイクが妖しく光っている。

梱包された白フレーム

 

引退もよぎったその翌日にこんなことになるなんて、飛び上がるぐらい嬉しい一方でなにか違和感も感じていた。

長年連れ添った古女房に先立たれて喪に服すつもりでいたのに、すぐに若い愛人が出来てしまったみたいな罪悪感が沸き起こっていた。

青白く輝くフレームはトップチューブも太くなり、塗装はつやつやしている。なんかむっちりピチピチした小娘に見えた。そして使用していた選手のお子さんが貼ったのだろう、ミッフィーのシールまでついているキャピキャピしたやつだ。

シロビンカ…………僕には眩しすぎる。

カラビンカ乗りの友人アケチくんにそのことを話すと、「まあミドリビンカのこどもと思えばいいんじゃないですか?」と気をつかって言ってくれた。

その気持ちはありがたく頂戴したが、よく考えてみると“折れたフレームのこども”って何なんだ?……まったく意味が分からねえ……。

ミドビンカ後ろ姿

 

ミドリビンカで愛用していたリアブレーキ台座は、元同僚のバニヲが開発した“バニーブレーキ”。この世に限定30個しか作られていない。とてもコストがかかっている筈だが、そのうちの一つをスポンサードしてくれた。

一般的なアルミの板で挟むタイプとは全く発想が異なり、シートステイとブリッジの内側から、ロボットがアームを突っ張るようにして固定する。見た目も革命的だが、この台座にはフロント用ブレーキではなく普通のリア用のを取り付けられる厚さになっているのがエライところだ。

田辺さんも毎回「いやぁスゴいねえぇ………えぇ?!(口癖)」と絶賛されていたパーツだ。

シロビンカ後ろ姿

 

シロビンカの後ろ姿。

集合ラグ&つぶしが入ったシートステイというスパルタンな仕様になっている。つまり固くてビシバシ進む。

シートステイの間隔が狭く、これにはバニーブレーキは着けられないので、以前BANKイベントの賞品で頂いていた天婦羅サイクルさんオリジナルの台座を使った。ステンレス(現行商品はアルミ製だそう)の感触が気持ちよく、数種類あるデザインのどれもシンプルでかっこいい。くり抜かれた星形といいミッフィーといい、実にファンシーな仕上がりとなった(笑)。

考えてみると、これらも含め業務で愛用している道具はもらい物ばかりだ。

使い込まれたクロモリのドロップハンドル日東B123は、アキラ師匠から譲り受けた魂のパーツ。
 メッセンジャーバッグは、同僚ジャージ氏提供のUnder11(アンダーイレブン)。 T社のホンマンと街で会うと「形がキレイですよねえ。」といつも言ってくれる。
 携帯ホルダーも、名古屋のwelldone(ウェルダン)イノッチさんに特注したモデルなのだが、結局頂いてしまった。
 道具自体も僕にとってベストな物ばかりだが、スポンサードしてくれた人たちも素敵な男ばかりであることに気づく。

これから、先にフレームが折れるか自分が折れるか分からないが、 まだまだセンチメンタルジャーニーは続くようだ。

木彫りの鳥

 

それから丸一年が経った2016年。年明け二週目の朝のことだった。

僕の腰に激痛が走り、起き上がれなくなった。数日してヨボヨボと病院に行くと、疲労骨折していたことが判明した。
 レントゲン写真を見ると、背骨の一番下のピースと腰骨をつなぐ部分がズレている。フレームでいうと、シートチューブとBBシェルのつなぎ目である。

あ……ミドリビンカと同じ場所ってことか……

医師の説明中だったが、そのことに気づいた僕はうっかり笑ってしまった。

奇しくも、ミドリビンカが折れた日からちょうど一年後の1/16、
うららかな午後のことだった。

こうして、僕とミドリとの甘い日々は終わった。

ナイトミドリビンカ