ここでまた一応解説。
- 「フリーギア」とは、走っている時に脚を止めるとチ~~~と空回りする一般的なホイールのことで、コグ(歯車)にその仕組みが内蔵されている。
- 「固定ギア」のコグは、その仕組みが無いただシンプルな歯車だ。ペダルとホイールがチェーンで連動して(一輪車の様に)動き、後ろ向きに踏むことで減速をする。さらにやろうと思えば後ろにも進める。そして剛性を重視して厚いチェーンを使うことが多い。その規格が厚歯用といわれるものだ。
競輪などトラック競技のピストには安全のため(!)ブレーキをつけないので、走っている間はずっと脚を回しながらコントロールをする。
マウンテンのクランクを右側にしたのは、もちろんフリーコグが空回りする回転方向があるからだ(もし左側につけたとしたら、前に進めないエアロバイクになってしまう)。
そして固定ギアなら左側につけても前に進める、というわけだ。
現にうちの社長ヤナケンはクランクを左につけている。当然、ペダルを踏むとコグがネジ山から外れる方向に力が作用するが、ロックリングを思い切り締めていれば問題ないと言っていた(よい子は決して真似をしない様に)。
長さの異なる、フリー用薄歯と固定用厚歯の2本のチェーンを用意し、走る時には片方のチェーンとジョイントをポケットに入れておくという、おそらく人類史上誰も試みた者はいないであろうアイディア。
……ここまででお気づきの方もいることでしょう……そう、ロードバイクがあれば済む話なのだ。
つくづく自転車の進化の歴史は、試行錯誤の歴史であることを思い知らされた。
手持ちのコグを並べ、ギア比の表を書き出し、地図をにらみ、頭を抱える数日間を過ごした。
7/4(木)明け方4:00
チェーンオイルにまみれうとうとしつつも、使うギアはとりあえず決まった。
これが僕の作戦の全てだ。
- 第1ステージ
熱海駅前からは固定ギアでスタート。
▲山伏峠に登り始める地点で、まずは両切りホイールをひっくり返して軽いフリーギアにする。→そのままフリーで下る。 - 第2ステージ
修善寺から天城峠へのダラダラ登りには、またホイールをひっくり返して固定ギアに。 - 第3ステージ
天城峠山頂でコグとチェーンを交換し、下り&海岸線仕様の重いフリーギアにする。 - 第4ステージ
熱川からゴールの宇佐美までもそのまま。多少のアップダウンは二枚あるコグのどちらかでなんとかなるだろう。
なんだ、走っている途中でシフトチェンジするのは山伏峠手前の一回だけだ。
最終的に、使うクランクはマウンテン1本にした。チェーンは「6~8速用」を2本。両切りホイールを活用することを考えて、コグはフリー&固定ともに薄歯に揃えた。
思いついた時には身震いさえした「クランクの両切り」は、仮組みしてはみたもののやっぱりやめた。
理由は単純に、重すぎるからだ(苦笑)。
クロモリのピストフレームに右クランクを2つくっつけてヒルクライムに行くバカはいない。
ギリギリ気づいた。
フッフッフッ…完璧だ。僕はニヤリとし、朝日のなか眠りに落ちた。
7/5(金)レース前日
ホッピー先生はお腹をかきながら鼻で笑った。
「それは100年前のツールですよ。」
ウールのジャージに身を包み、ギアの変速なんてなかった時代。選手の親戚の叔父さんとかが、山のふもとで替えのホイールや新聞紙に包んだアップルパイなんかを持って待ち構えていたのだろう。
それはそれでいい時代だと思う。
今は100年後ではあるが、トラックレーサーで走ると決めたんだからしょうがない。100年前のロードレーサーよりは軽いだろう。
当時の選手だってアルプスを越えたんだ。
伊豆ぐらい越えられないわけがない。
黒いトリプルのクランクをつけた違和感あふれるピストで一日の業務を終えると、僕は浜松町の職場から品川駅に向かった。
横浜市内の自宅まで30キロ走ってから翌朝早く熱海駅に向かうぐらいなら、今晩のうちに熱海に直行しちゃう方が休めるんじゃないかと。
100円ショップで買った自転車カバーをミドリビンカにかぶせ、さも輪行バッグかの様な面をして新幹線に乗り込んだ。
……胸が高鳴った。勝負に一歩リードしている(?)優越感。新幹線で温泉街に向かっているこのブルジョワ感。なんて贅沢なんだ。
横浜本社のみんなは今夜、せいぜいボケーッとチェーンに油を差して過ごすぐらいだろう。なんてマヌケなやつらなんだ。