Courio-City 公式ブログ

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南国からの贈り物

鹿児島県の竹島から素敵な贈り物が届きました。(竹島と言っても、問題になってない穏やかな方)

皆さんは自転車のスポークで作られたバングルをご存知ですか?

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今でこそ、種類も増えてきた自転車パーツアクセサリーですが、日本で最初にスポークのバングル作りに取り掛かった人物が、東京のK氏と鹿児島のT氏、二人のメッセンジャーだったと思います。(曖昧な記憶ですが)

T氏はかつて、メッセンジャーとして鹿児島の街を走り回っていたこともありますが、そのT氏からこの度、バングルをプレゼントして頂きました。相変わらずのクオリティーで、仕上がりが綺麗なんですよ。

(ちなみにクリオも時々お客様から『クオリティーさん』と間違われること、あります。関係ありませんが)

T氏のバングルの特徴は、リング全体に少し角度が付いていて、引っ掛ける輪っかが2重巻きなのが特徴です。K氏のバングルの方は、15年くらい前の映画「メッセンジャー」や、そのキャンペーン等でも登場していましたね。

二人とも97年にバルセロナで行われたメッセンジャー世界大会に参戦した時に、カナダのメッセンジャーから貰ったものを参考に製作し始めたとか。

このバングル、非売品なのですが、ぜひ欲しいという方がいましたら、こちらまでご連絡下さい。↓↓↓

infoアットマークcourio-cityドットcom

締めきり: 3月15日

数名の方にプレゼントしたいと思います。(当選者発表は、発送をもってかえさせていただきます)

そろそろ2月も終わり。 春は間もなく…。  ( 関内の桜は一部咲き始めたようですね )

Ride Safe!

 

ひのりごと 46

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今、スキーに夢中だ。
先日、仕事の関係上、スキーについて学ぶ機会があった。スキーの中でも山スキー、更にはテレマークというスキーの話にぐっと惹きつけられてしまった。私はスキーに馴染みがない。三十数年一度も経験することなく過ごしてきた。そんな私も、せっかく北国に来たのだからスキーはやりたいと思っていた矢先の研修だった。
スキーの始まりから今に至るまでの話、テレマークの成り立ち、テレマーカーの振る舞いを、”好き”という気持ちを根底に語られる研修は、仕事でありながらドキドキした。
スキー場でザックを背負って滑るテレマーカーは、お互い妙な親近感が湧くらしい。
それって、街で大きなバッグを背負った者同士が抱く親近感と似ている…。もう、この時点でぐぐっときてしまった。
マイノリティ(少数派)、カウンターカルチャー、メッセンジャーカルチャー。固定ギアの自転車のブームがピークにあった頃はそんな言葉にも、天邪鬼な気持ちで”なんだかなぁ”と思っていた。でもそんな時代もとうに過ぎて、”自転車”をそれぞれの嗜好でより自由に楽しむ人が周りに増え、私も程よく歳を重ね、そういうことの良さを素直に感じられるようになってきた。やっと。

敢えて身体に負荷のかかる道具で移動する、荷物を運ぶ、それを仕事にする。それを仕事に選ぶ時点である種の変わり者。物好きだ。
そんなところから始まる共有意識、共感は同じ都市を走る同業者、地方都市、そして世界に広がっていた。
知らない街に行って、同業者を見かけてなんの迷いもなく話しかけられるってなかなかないこと。話しかけるというより、思わず声を発する感覚。
そんな世界がスキーの中にあるということが驚きだった。
やってみたい!
とはいっても、知っている人は分かると思うが、テレマークはとても難しい。踵がフリーになるビンディングで斜面を滑り降りるのだ。(私が今できる最大限の説明。)スキー未経験の私には絶対に無理。絶対。
ということで、ゲレンデでアルペンスキーの練習から始めることにした。道具は周りの心優しい人が使っていないものを提供してくれた。この土地の人達はこの土地を楽しもうという気持ちにとても優しくて親切。
ゲレンデに5回行った。成長のペースは予想通り。でも楽しくてしょうがない。ゲレンデを滑る感覚を身体に残しながら運転する帰路。頭の中はドリフト状態。で、安全運転。メッセンジャーを始めたばかりの頃はその日一日の仕事をもう一度頭の中で繰り返しながら帰っていた。あの瞬間の荷物のピックからのあそこでのパス。良い瞬間を思い出しながら走る帰り道。メッセンジャーはナルシストな職業。

今の目標は来シーズン中に夏に歩いた山にスキーで入ること。それができたら、テレマークの練習の始まり、かな。
できるか分からないけど、とにかくやってみたいという気持ちもメッセンジャーを始めた時と一緒。
恋に落ちやすい性分は変わらない。

そんな中で最近はっとするような出来事があったのだけど、それはまたの機会に。
これからメッセンジャーバッグにスキーのウェアと練習後の温泉セット詰め込んで明日の準備だ。

100%ノンフィクションロードムービー第2弾!「魚が飛んだ日」

若き日の植木等はジャズギタリストだった。
二枚目だった彼に、ある日「スーダラ節をやらないか?」との話が舞い込んだ。悩んだ末に浄土真宗の僧侶でもある父親に相談したところ、
「……スバラシイ!分かっちゃいるけどやめられないという歌詞は、親鸞の教えにもつながる!!」
と背中を押されたという。

ツール・ド・東伊豆から2年。
あれはしんどかった。個人的にはトラックレーサーで参加したこともあり、ゴール後はもう二度とやりたくないと思った。ホッピーの「ロードレースにピストで参加するなんてバカですよ。」の言葉がリアルな教訓として残った。

しかし、人間とはなぜ同じ過ちを繰り返してしまうのだろうか。
今回のツール・ド・西伊豆にも、普段業務で乗っているトラックレーサーで参加することにした。
「わかっちゃいるけどやめられない!」
……これは親鸞の教えにつながるのか?

今回の日程は、2日間のうち一日目に130キロを走り、二日目はもう走りたくないだろうからと予備日になった。極端だぜ!

前回「東伊豆」は、100キロを4つのステージに分けてポイントを重ねるレース形式だった。その勝負も楽しかったが、今回は順位をつけずにツーリングとして走りたいという声が多かった。
とはいえ色んなモチベーションのメンバーに応えるために、レース的な要素も入れようかとの意見も出た。
たとえば僕の案は、コースに前もってゴムボールをたくさん仕込んでおき、それを見つけるとポイントを獲得していく「DRAGONBALL RACE」とか。実をいうと僕は5年ほど前に、出田町埠頭と山下橋交差でドラゴンボールを拾ったことがある。

ドラゴンボール
(大掃除で一つ出てきた)

その時は横浜辺りの埠頭を回れば7つ全てが揃うんじゃないか?!と興奮したものだ。
でも結局そのアイディアは却下され、ツーリングだけという形になった。競いたいメンバーは勝手にやるだろうしと。
そんな流れもあり企画者のZOOから、予備日である二日目に何かレクリエーションを用意してほしいとの無茶振りを受けた。すでにみんなには「パッションカップやります。」とアナウンスがされていた。

レース数日前。
天気予報では、伊豆半島に台風が2つも直撃しそうな状況になっていた。※tenki.jpより引用
台風3兄弟 9/10/11号

レース当日。
台風11号進路図

わざわざ新幹線で宿のある下田まで行って、宿の中で酒盛りだけして帰るのはわびしい。
なんとか畳の上でも出来ることを考えなきゃなとの危機感が強くなった(この時点では、直撃するのはステム台風とZOO台風であることはまだ誰も知らない)。

海×自転車といえば、まず思い浮かぶのは「シクロクロス」。そして魚釣りも捨てがたい。
そこでこんな競技を考えてみた。砂浜のコースを自転車で走るミニシクロクロス。最後に池のゾーンを作り、縁日の釣りみたいなゲームをする。1周して1匹釣り上げる毎に1ポイント獲得で次の走者にリレー。これをエンデューロ形式で続け、最終的に漁獲高(=周回数)が多いチームが優勝となる。
魚はダンボールか何かで作ろう。これならもし宿にカンヅメになったとしても、ちょっとは海に来た気分を味わえるかな。

競技の名前は
“Fisherman’s Cyclocross”(シクロクロス漁師風)
と名付けた。
カッコイイ!……でしょ?

業務の合間に神保町の古本屋街を回った。魚の図鑑を探すためだ。昭和感あふれるイラストのやつをイメージしていた。
何軒目かに一冊の本を見つけた。江戸時代に毛筆で丹念に描かれた図鑑の復刻版。当時としてはボタニカルアート的な書物だったのだろうか。

魚図鑑

魚たちの、豆鉄砲を喰った様な目にくすぐられた。
その中に同僚ランマがいたのが決定打となった。

亀イラスト

それから魚を選んでシールの用紙にコピーし、プラダンという素材(よくビルのエレベーターの中とかを養生するために使われてる素材)に貼り合わせる。そして釣り針をひっかける為のひもを挟んだ。

競技用魚制作中

前日の夜中に、なんとかここまでの準備は出来た。
子供の頃から宿題はギリギリまでやらないタイプだった。
少しでも眠っておかなきゃな。睡眠を削りフラフラのコンディションで参加してもいいことはない(東伊豆で学習した)。
釣り竿作りの作業が残ったが、どこかでスキマの時間を見つけられるだろう。

7/18(土)一日目

朝早く起きてマシンを磨いた。

前回、トラックレーサーで「マウンテンピスト」の限界を追求したのも楽しかった。
その愛車ミドリビンカは今年に入って折れてしまい、今の商売道具はシロビンカになっている。

シロビンカ

今回、業務仕様からいじったパーツは、コグを大きいのに替えたぐらい。ギア比は47/18で2.6になった。めんどくさがりの僕にはこれが精一杯だった。
レースではギアの変速があるロードバイクの方がもちろん速いが、固定シングルギアであるピストバイクの方が疲れないんじゃないかとの考えもあった。
こんなことをいうと山の神様たちから
「おみゃー、伊豆をなめんじゃにゃー!!」
と怒られそうだ。

三島駅からのローカル電車はゴトゴトと霧の中を進む。

フタを開けてみると、山の神様たちは僕らを歓迎してくれたようだ。
明るい曇り空で、たまに霧雨が涼しくしてくれるという最高の自転車日和になった。

沼津駅前、10:30。
集まったのは、アイス、クッキー、ジャージ、ZOO、ステム、ちーくん、ノヤギ、パッションこと僕、フックんことエネゴリ、ペーター、ペヤング、社長ヤナケン、らんま、リヒト、ワイズ、……そして名古屋のデイジーメッセンジャーに嫁いだおやつと盟友しえさんが参加。総勢17人の旅になった。

沼津駅スタート

みんなは緊張感と、遠足がはじまる前のワクワクした雰囲気にあふれていた。
アイスはサドルにぶら下げたスピーカーから大音量で音楽を流している。僕は今どきの音楽は全然知らないが、ローリング・ストーンズの“Miss you”は分かった。彼らが50代目前でやっと初来日を果たした当時僕は高3で、同級生たちと卒業式の練習をサボって観に行ったものだった。親子ほど歳の離れている世代のアイスがそんな選曲をしていることに驚いたが、今思えばこの時すでに退職を決めていた彼の、何か暗示だったかな…?としみじみ考えてしまう。

アイス写真

スタート時間は押していた。修学旅行でいうと典型的なダメな班の感じである。集合写真を撮るにもままならない浮かれた一行に、ZOO低気圧が発生しはじめていた。
ペヤングは「イラZOO」と表現した(だがこれはまだZOO台風ではない)。

一本棒でスタートして間もなく、静かな沼津駅前で発砲事件が起こった!!

ステムのタイヤがパンクしたのだった。
日曜日の朝っぱらから地元のマフィアの抗争か?!と思ったぐらいの爆発音だったが、沼津には穏やかな人しかいない(気がする)。

ステムのパンク修理

ステムはチューブを換えようとしたが、リムが派手に破裂していた。これでは直しようがない。空気圧など気合いを入れて準備をしてきたのは伝わったが、彼の夏は5分で終わった。
とっておきのフレームは、もはや巨大な空き缶でしかなかった。
ステムは「一回家に帰ってバイクで出直しま~す!」とオチャラケてみせたが、爆発直後ほどの笑いは起きなかった。
みんなマシントラブルには慣れている仕事柄もあり、ドライに置いていくことにした。

荷物は各自で背負って走る覚悟だったのだが、直前になってサポートカーを出してくれた人がいた。しかも2台も。これには本当に助かった。
ステムは、運転してくれるノヤギと交代でホイールを使わせてもらうことで、このツールに復活が出来たようだ。
……だが結果をいうと、みんなに合流することはなかった。
翼をさずかったステム台風は、速度を上げ、急速に進路を外れていったのである(それがのちに嵐を巻き起こすことは、この時はまだ誰も知らない)。

道中のレポートは、みんなが文章と写真を紹介してくれたので僕は省略とする。
ホントはめんどくさいだけだ。

2台のピスト
個人的に好みの2台、シュパーブ兄弟。

フックんの魚拓

ギア比3オーバーで黙々と山道を走っていたフックんことエネゴリの魚拓。

夜。鷲山会の晩餐がビシッと始まった。

民宿の夕飯、鯛の造り

豪華な鯛の造りは、餓えた大家族の前では一匹のほっけの様なもので、あっという間にツマだけになった。
そしてちらほら宴が始まった頃、雨の降り出した宿の玄関前でしずかにZOO台風が発生していた。

ここもワイズの文章にまかせて僕は省略とする。

ZOO台風に巻き上げられ、深夜気がつくと宿から30キロ離れた場所にいた。そこは暗闇からゲコゲコと蛙の声だけが響いている川沿いの道だった。
僕たちは途方に暮れた。ファミレスなんかはありそうもない。駐車場やコンビニをさまよい、屋根のあるバス停に流れついた。

夜のバス停

小康状態に勢力を落とした小型ZOO台風は、「歩けば6時間で帰れる…」とイラZOO気味に呟いたが、今から朝まで歩き続けるなんて僕は絶対にゴメンだった。無視してここを今夜の寝ぐらと決めた。
木製のベンチに横になる。

バス停内の雀の巣

天井のツバメの巣を見上げながら、東伊豆の前日に野宿する羽目になったことがフラッシュバックした。
ああ……
おれは今回もベンチなのか……。

普通なら今ごろ旅館の座布団の様な布団や、もみがらの詰まった枕でぐっすりと眠っている筈だった。130キロを走り、宿の岩風呂に入り、鯛を2切れほど頂き、
まさかそれからベンチとはなぁ……。

短パンビーサンだった僕の脚は蚊たちの格好のご馳走になった。蚊れらにしてみたら、それこそ鯛の造りがドーンと置かれた様なもんだろう。
もうこうなったらノーガード戦法しかない。3h飲み放題、くれてやった。

そして伊豆の蚊はデカイ(気がする)。
ボリボリ、ウトウト……ガリガリ、ウトウト……。

すごい土砂降りで何度か目が覚める。
ツールの二日間のうち一番強く雨が降ったのは、ちょうどこのバス停にいた2~5時の間だった。それはついていたと言える。そして気候も生あたたかい。野宿日和だ。
まったく眠れなかったというZOOの横で、僕はイビキをかいていたらしい。

夜が明けてきた。

バス停は波の音が聞こえるほど、海まで歩いてすぐの場所だった。

ひとり、夜明けの海を散歩した。

夜明けの浜辺

思えば昨日はさんざん海岸線を走っていたのに、チラッとしか海を見る余裕はなかった。思わぬ贅沢な時間になった。
だが僕には宿題が残っている。
Fisherman’s Cyclocross用の釣り竿作りだ。おそらく宿でガーガー眠っていたらギリギリまで起きなかっただろう。はからずもこの海岸まで飛ばされたおかげでその機会が出来た。

浜辺に打ち上がる物

流木を拾っては捨てcatch & release、厳選して釣り竿を選んだ。

ZOOが遠くからトコトコと歩いてきた。

東伊豆の二日目の朝を思い出した。何人かで民宿の近くのイートインのコンビニで朝食をとっていたら 、ZOOがトコトコと歩いて通り過ぎて行った。あれ?…どこに行くんだろう?と北極と不思議に思った。
しばらくすると本人から、「だれかおれの眼鏡知りませんか?」と一斉メールが届いたので爆笑した。
いつも何か考えながら歩いている様に見える。
ついでにいうと、眼鏡は外には落とさないと思う。

海岸からすぐ隣にある公園に移動した。水道で流木を洗い、すべり台に並べて乾かす。
昨日あれだけ走っていて疲れていない訳がない。朝になれば宿から救助の車が来てくれることになっている。それまで身体を休めよう。
こんな時は、個人主義の者同士でもなんとなくつかず離れずの距離を保つのがおかしかった。特に会話もなくZOOはコンクリートのベンチで、僕は芝生で横になった。
海からの涼しい風が、二人と五本に吹きつけた。

Fishermanで使う流木

宿でみんながモゾモゾ起き出した頃。
社長ヤナケンとジャージは、朝食も食べずに車を出してくれた。

僕らはブロック塀に少し離れて座り、カップラーメンを食べながら救助を待つ。

一時間ほどして、ワゴン車が迎えに来てくれた。ザ・寝起きのジャージ王子様が顔を出してニカッとした。土偶みたいな目をしていた。
宿までの道は、山道にしろ海岸線にしろ、くねくねと激しいルートしかない。
こんな道を、しかも真っ暗な中30キロ歩いていたら……と考えるとゾッとした。おそらく今頃は南伊豆の野に咲く花となっていただろう。
夜中にタクシーを呼ぶという選択肢もあったが、やはり朝まで動かなくて良かった。片道だけで一時間以上ガタゴト揺られ、吐きそうにもなった。もしタクシーに乗っていたら後部座席を血だらけにして、運転手さんに怖い話を提供することになっていたと思う。
寝起きに往復してくれたヤナケン、ジャージ両氏に感謝です。

宿に着くとみんなはもう朝食を食べ終わっていて、畳の大部屋でまどろんでいた。
そして昨夜起こった出来事を聞きたいけど聞いていいのか分からないという空気が漂っている(笑)。

旅館の布団で眠ることは出来ずじまいだったが、旅館の朝ごはんが待っていた。アジの干物を焼いたメニューだった。定番の包装されたのりもあった。
ZOOの席には大好物の紙パックのコーヒー牛乳が用意されていた。元気づける為におやしえ*が買って来てくれたらしい。
ZOOはこの二日間で一番のハニカミ笑顔になった。
*おやつ。としえさんのこと。

好き嫌いの激しいZOOはコーヒー牛乳だけを飲んで朝風呂に行った。
それをいいことに、僕はアジの干物をつつきながらみんなに昨夜のことを報告した。彼こそがサカナだった。100%ノンフィクションである(つーてもこのレポートには50%にしといてやっただがね)。
みんなは寝ぼけた目を輝かせてゲラゲラ笑って聞いてくれた。ほんとにかわいいメンバーだと思った。しえさんは正座して膝の上にハンドタオルをのせて微笑んでいた(気がする)。その横でおやつは大の字に寝転んでいた。おやつはそれでいい。

7/19(日)

快晴になった。
二日目は時間のしばりは無く、寄り道しつつ最終的に下田駅に辿り着けばいいというアバウトな感じだった。

宿から5キロほど自転車で走ると海に出た。
龍宮窟という岩場がある。こんな場所があるのか!とビックリする名所だ。

龍宮窟でのワンシーンその1

一日目の山岳コースで水に飢えていたのか、みんな少年のようにはしゃいだ。

龍宮窟でのワンシーンその2姫サザエ龍宮窟でのワンシーンその3

となりの田牛(とうじ)海水浴場&サンドスキー場でも暴れまくった。

岸壁飛び込み大会

岩場から次々に飛び込む少年中年たちを見ながら、もうこれがツール・ド・西伊豆の最終ステージでもいいなと思っていた。
……だが、また「イラZOO」の発生する気配を感じた。僕は少々ビビった。

少し下田方面に進むと、吉佐美大浜海水浴場という砂浜に出た。このツールで、初めての(みんなで行く)砂浜だった。
このツールでスゴイというかヒドイことは、誰ひとりとしてどこも下見をしていないということだ(苦笑)。その場での判断力が試される。
ちょうどいい場所がなければお蔵入りでもいいかなとも考えかけていたが、ここでやることにした。

Fisherman’s Cyclocross!

事前にZOOは、「自転車で砂浜を走るのは(サビを)いやがる人もいるでしょうね。おれは自分の自転車では走らないですね。」と言っていた。…ツメタイ。
実際、「自転車持って降りてきて~。」と言うと、リヒトなんかは露骨に「ロードでこんなとこ走りたくねえよ…。」とブツクサ言いやがった。
コノヤロ~と思ったが、無理もない。でも何人かは自転車を浜に持ち込んできてくれた。

Fisherman Cycrocross ルール説明

くじで3人×4つの漁師チームに分かれた。

  • アイス→ジャージ→クッキー
  • リヒト→ワイズ→ノヤギ
  • ペヤング→フックん→らんま
  • ステム→ペーター→ヤナケン

それぞれの第一走者がビーチフラッグのスタートの姿勢でスタンバイ。
おやつのアレンジで?随分と遠くからのスタートになっていてビックリした。
スターターをつとめてくれたおやしえが棒を振り下ろすと猛然とダッシュする4人!
水しぶきを上げて川を越え、コースに迫ってくる!!
とても絵になる。やはり勝負ごとになると燃えるメンバーだ。

Fisherman Cycrocross スタート

4台並べられた自転車から一台を担ぎ上げ、テニスコートくらいのコースをぐるっと回る。はだしのやつもいる。一周すると自転車を置き、相撲の土俵のような池のゾーンに集まる。そしてバトンを兼ねた釣り竿の糸をたらした。
走るのが速いだけじゃダメで、確実さもないと結果的に遅くなる。それはなんだか業務と似ているのもおもしろい。

Fisherman CycroCross Scene 1 Fisherman CycroCross Scene 2 Fisherman CycroCross Scene 3


なんだかんだいって、憎まれ口を叩いたリヒトが一番に吊り上げてきた!
釣り糸にぶら下がった魚がピチピチ跳ねているように見えた。
リヒトは肩で息をしながら、ワイルドな顔を恍惚と輝かせていた。

土俵に42匹いた魚は、みるみるうちに吊り上げられていく……。

正直に言うと僕はこの時、なにかカウントダウンの寂しさも感じていた。

このメンバーのおかげで最高に楽しい夏休みになった。

レース後最終カウント

こうして、この夏のツール・ド・西伊豆は終わった。

伊豆の海と緑

ひのりごと 再会 

温泉の脱衣所のドライヤーに十円玉を入れた。

なのに動かぬドライヤー。硬貨が詰まっていることに気がついて、持っていた一円玉で上からぐっと押し込むと何事もなかったように動き出した。

髪を乾かし終えて着替えていると、別の人も硬貨を詰まらせ、ドライヤーの前をうろうろしていた。先程の方法を教えるも、硬貨は入っていかなかい。すると、別のおばちゃんが登場し、ガタガタと機械を揺すり始めた。詰まらせた本人は諦めていたが、引かぬおばちゃん。数分後、遂におばちゃんが勝った。

ほっとした空気が脱衣所に流れる中、ボディークリームを塗っていると、鏡越しにうしろにいたおばあさんの姿が目に入ってきた。タオルで作った手作りのブラジャー。胸には大きく「いいタネ」と書かれていた。

一人感嘆していると、見知らぬ方が声をかけてきた。「あなたよく来るの?」と、温泉のスタンプラリーの台紙を譲ってくれた。スタンプを4個貯めると、1回無料で温泉に入れる。どうやら遠方の方なので、なかなか来れないらしい。スタンプは2個貯まっていた。

今日は色々とついている。

 

今、私はこんなドラマティックな脱衣所のある温泉のそばで暮らしている。(市内は温泉だらけ)

一年半前まで、クリオシティのメッセンジャーとして、生まれ育った東京を走っていた。

社長、やな犬さんの言葉を借りると、「雑多なメッセンジャー」の世界に10年近くいた。

そんな経験が功を奏してか、様々な人、仕事、文化、たべものが色濃く入り交じるこの土地で、今のところ楽しく暮らしている。

楽しいと言うと、簡単で単純な言い方かもしれないが、純粋に、興味深くて面白いことだらけだ。

 

はるばる東京から来た私を、人はめずらしがる。

「あんた、こった大変なとこさ何しに来たんず?」

よく、初対面の方にいきなり言われる。

もしかしたら、人によっては面食らうかもしれない。

でも、仕事中に新橋で信号待ちをしていた時に、「おい!ねーちゃん!あんた競輪選手になりなよ!」と、隣にいたおじちゃんに、いきなり言われたことのある身としては、こんなことなんてことないのだ。(因におじちゃんは、私の太ももの太さを生かさないともったいないと言っていた。)エレベーターで乗り合わせたおじちゃんに、「あんた男か?」と聞かれたことだってある。なかなかに雑多な日々だった。

寧ろ、初対面ながらも興味を持って接して下さる方が多い事はとてもありがたい。知る人よりも見知らぬ人が多いこの土地で、新しい出会いのきっかけとなる。

ここに引っ越してきて、初めて経験したアルバイト先のりんご農家の社長から、「順応性が高い」と言われたことがある。どちらかというと保守的で不器用な人間だと思って生きてきたので、素直に嬉しかった。

いつからこうなったのかは分からないけど、きっかけの一つは間違いなくメッセンジャーだと思う。

ありとあらゆる天候のもと、暑いだの寒いだの文句を言いながらもそれを受け入れて走り、変わった職業(メッセンジャー)に興味を持つ世界中の変わった人達と出会い、会社を越えて世代やスタイルの全く違う人達とメッセンジャーのイベントを作り上げ…

雑多なものごとを咀嚼してゆっくりと受け入れていくことを周りの人達から教えてもらった気がする。

特に、雑多なものごとほど、噛めばかむほど、面白みが深まるのだ。

とは言いつつも、頑固で譲れない部分ももちろんある。

 

そんな私が、大好きだったメッセンジャーの世界を離れ、憧れと興味を持っていた北の地に来て1年半。

積み重なる新しい経験と、変わらないメッセンジャーとしての感覚。

この二つが入り交じった私の日々を、もう一度この場所で発信したいと思うようになった。

そんな気持ちを、勇気を出して、社長、やな犬さんに伝えたところ、すんなりと「いいよ。いいね。」と言って下さった。

さすがメッセンジャーだ。

やな犬さんに深く感謝しつつ、この場をお借りして、クリオシティのブログを見て下さっている、

クリオシティのお客様、メッセンジャー、元メッセンジャー、今この土地で新しく出会った人、通りすがりの人に、改めて、私なりの「メッセンジャーな感覚」と「今見ているもの」を伝えていきたいと思う。

戻ってきた「ひのりごと」。

はじめましての方も、以前も読んで下さっていた方も、改めてよろしくお願いします。

 

 

ノリ

1983年、東京生まれ。

高校卒業数年後、地図を眺めること、外にいること、男らしい世界…様々な「好き」が詰まったメッセンジャーになる。

全てのたべもの、のみものをこよなく愛し、食べ呑む日々。

乗り物は自転車も電車も車も全部好き。

現在、高校の頃から憧れていた北国で暮らす。

趣味:登山、写真、民藝、食器集め

好きな人:星野道夫、黒板五郎、河井寛次郎

好きなことば:「驚いている自分に驚いている自分」

100%ノンフィクションロードムービー 「一人だけのツール・ド・東伊豆」(改訂版)

この記事は2013年7月6日に行われた「ツール・ド・東伊豆」へのアナザーストーリー「もう一つのツール・ド・東伊豆」を新たに書き起こした記事です。

メッセンジャーはいつだって自転車が大好きなんでしょ?と思われがちである。
休日に遠くまでツーリングに行ったりするタイプもいれば、自転車に指一本触れないまま月曜日を迎えるタイプもいる。僕はというと……典型的な後者だ。

「ツール・ド・フランス」も観たことない、ロードバイクすら持っていない。
しかし…出ることになってしまった……社内ロードレース大会「ツール・ド・東伊豆」。

総勢15人が出場、3チームでの団体戦として振り分けられたうちのメンバーは、
●社長ヤナケン ●ホッピーことジロー ●チョモことイチロー ●おやつ ●僕の五人。

この中でチョモと僕の二人はピストでの出場。
一応解説、ピストとはギアが一枚なので変速が出来ない。山岳コースにおいては、雑な言い方をすれば軽いママチャリでしかない。

レース展開は想像がついた。
ホッピーがぶっちぎりで独走、残りの四人は途中でおいしそうな蕎麦屋とか見つけたら最後、勝負を忘れてくつろいでしまうだろう。
そして先にゴールしたホッピーが「あいつら何やってんだよ…フザケンナヨバカヤロ…!」とカリカリしながらお腹もカリカリかいている、という展開。

彼は僕に言った。
「ロードレースにピストで出るなんてバカですよ。おれだったら出ないですよ。」
勝負師の彼らしい。彼は機材にも妥協を許さない。
…そうだ、これはツーリングではない。勝負なんだ!

ミドリビンカ

でもマシンは、商売道具として愛用しているミドリビンカで走りたかった。
これでどこまで勝負出来るか?
その一部始終をつづった悪あがき日記をご紹介致します。

2013年6月28日(金)

レース1週間前、コースの詳細が発表された。
伊豆半島の東側を回るルートで、全長100キロが4つのステージに区切られている。距離こそ長くはないが、かなりの山岳ステージもあるという。
同僚たちは、ルートを調べたりパーツを替えたりと、静かに燃え始めた。

東伊豆ルートマップ変更前

僕はとりあえずハンドル周りをいじってみた。
日東B123ドロップハンドル340mmを、幅の広い400mmのロード用に替え、ブレーキレバーをブラケットの物に。見た目は好みではないのだが登り仕様にした。

そして何よりもギア比のセッティングだ。この選択が勝負を決めるといっていいだろう。
まずは登り用を考える。普段使っている厚歯でいくとチェーンリングの最小が42T、コグの最大はフリーで20Tというのが市販されていた=ギア比は2.1。相当軽い。
だがそれでもこのレース最大の難所、山伏峠は登れないらしい。
手持ちのパーツをひっくり返していると、10年以上前に初めて買ったマウンテンバイクについていたクランクが出てきた。ずっしりと重いそいつのほこりを払って見てみると、チェーンリングの最小が22!軸が四角い時代の物で、右クランクだけつけ替えることも出来る。トラックレースでも薄歯を使ったことがあるので対応する規格は知っていた。「6~8速」のチェーンと薄歯のコグで組み合わせれば……いける!

両切りホイールも駆使すれば、何種類かのギア比が使える。大丈夫だろう。
登りは1.5を切るぐらいの軽さの固定ギアがいいかな、下りはなるべく大きいフリーギアにしよう。
実際にマウンテン用のクランクをつけてみた。チェーンラインは問題ない。しかしチェーンリングの大きさに差がありすぎるため、インナー使用時にホイールを後方に引くと、トラックエンドのスライド幅を最大限に使ってもシャフトがエンドからこぼれ落ちてしまう。つまりチェーンが長過ぎる。

ミドリビンカ エンド

チェーンの長さは一本ではダメだということが判明した。

スペアのチェーンを持って走る?
コグを交換する必要もあるか?
各ステージのゴール地点で交換するなら、サポートカーに道具を預けて走れるか?
チェーンリングを外すのはめんどくさいから、いっそのことクランクごと換えちゃうか?
ならば厚歯も併用するか?
……仕事中も、ギア比のことばかり考えながら過ごした。

※ここからは、メカニック関係の方は決して読まないで下さい(苦笑)。

通勤で246を走っている時に、あるアイディアがひらめいた。
それは、マウンテンのクランクをフリー用として使い、さらに左側に固定ギア用のクランクをつけること!
つまり左右両側にチェーンリングを備えた、いわば「クランクの両切り」。
もちろん、両切りハブにもフリーと固定のコグをセットする。
これによってチェーンを換えるだけで薄歯フリーと厚歯固定の二種のギア比が使い分けられる。

ミドリビンカ 両切りクランク

ここでまた一応解説。

  • 「フリーギア」とは、走っている時に脚を止めるとチ~~~と空回りする一般的なホイールのことで、コグ(歯車)にその仕組みが内蔵されている。
  • 「固定ギア」のコグは、その仕組みが無いただシンプルな歯車だ。ペダルとホイールがチェーンで連動して(一輪車の様に)動き、後ろ向きに踏むことで減速をする。さらにやろうと思えば後ろにも進める。そして剛性を重視して厚いチェーンを使うことが多い。その規格が厚歯用といわれるものだ。

競輪などトラック競技のピストには安全のため(!)ブレーキをつけないので、走っている間はずっと脚を回しながらコントロールをする。

マウンテンのクランクを右側にしたのは、もちろんフリーコグが空回りする回転方向があるからだ(もし左側につけたとしたら、前に進めないエアロバイクになってしまう)。
そして固定ギアなら左側につけても前に進める、というわけだ。
現にうちの社長ヤナケンはクランクを左につけている。当然、ペダルを踏むとコグがネジ山から外れる方向に力が作用するが、ロックリングを思い切り締めていれば問題ないと言っていた(よい子は決して真似をしない様に)。

長さの異なる、フリー用薄歯と固定用厚歯の2本のチェーンを用意し、走る時には片方のチェーンとジョイントをポケットに入れておくという、おそらく人類史上誰も試みた者はいないであろうアイディア。
……ここまででお気づきの方もいることでしょう……そう、ロードバイクがあれば済む話なのだ。
つくづく自転車の進化の歴史は、試行錯誤の歴史であることを思い知らされた。

手持ちのコグを並べ、ギア比の表を書き出し、地図をにらみ、頭を抱える数日間を過ごした。

7/4(木)明け方4:00

チェーンオイルにまみれうとうとしつつも、使うギアはとりあえず決まった。

これが僕の作戦の全てだ。

  • 第1ステージ
    熱海駅前からは固定ギアでスタート。
    ▲山伏峠に登り始める地点で、まずは両切りホイールをひっくり返して軽いフリーギアにする。→そのままフリーで下る。
  • 第2ステージ
    修善寺から天城峠へのダラダラ登りには、またホイールをひっくり返して固定ギアに。
  • 第3ステージ
    天城峠山頂でコグとチェーンを交換し、下り&海岸線仕様の重いフリーギアにする。
  • 第4ステージ
    熱川からゴールの宇佐美までもそのまま。多少のアップダウンは二枚あるコグのどちらかでなんとかなるだろう。

もう一つのツールド東伊豆 ギア比表

なんだ、走っている途中でシフトチェンジするのは山伏峠手前の一回だけだ。

最終的に、使うクランクはマウンテン1本にした。チェーンは「6~8速用」を2本。両切りホイールを活用することを考えて、コグはフリー&固定ともに薄歯に揃えた。
思いついた時には身震いさえした「クランクの両切り」は、仮組みしてはみたもののやっぱりやめた。
理由は単純に、重すぎるからだ(苦笑)。
クロモリのピストフレームに右クランクを2つくっつけてヒルクライムに行くバカはいない。
ギリギリ気づいた。

フッフッフッ…完璧だ。僕はニヤリとし、朝日のなか眠りに落ちた。

7/5(金)レース前日

ホッピー先生はお腹をかきながら鼻で笑った。
「それは100年前のツールですよ。」

ウールのジャージに身を包み、ギアの変速なんてなかった時代。選手の親戚の叔父さんとかが、山のふもとで替えのホイールや新聞紙に包んだアップルパイなんかを持って待ち構えていたのだろう。
それはそれでいい時代だと思う。
今は100年後ではあるが、トラックレーサーで走ると決めたんだからしょうがない。100年前のロードレーサーよりは軽いだろう。
当時の選手だってアルプスを越えたんだ。
伊豆ぐらい越えられないわけがない。

黒いトリプルのクランクをつけた違和感あふれるピストで一日の業務を終えると、僕は浜松町の職場から品川駅に向かった。
横浜市内の自宅まで30キロ走ってから翌朝早く熱海駅に向かうぐらいなら、今晩のうちに熱海に直行しちゃう方が休めるんじゃないかと。
100円ショップで買った自転車カバーをミドリビンカにかぶせ、さも輪行バッグかの様な面をして新幹線に乗り込んだ。
……胸が高鳴った。勝負に一歩リードしている(?)優越感。新幹線で温泉街に向かっているこのブルジョワ感。なんて贅沢なんだ。
横浜本社のみんなは今夜、せいぜいボケーッとチェーンに油を差して過ごすぐらいだろう。なんてマヌケなやつらなんだ。

町並みはだんだんさびれていき、そして夕闇に包まれていった。

熱海の夜。そこにはスマートボールとか場末のストリップとかの誘惑があるのだろうか。
しかし、僕の準備はまだ終わっていなかった。
天城峠を下ることから始まり、海岸線を走る後半のコース。アップダウンはどれぐらいのものなのか身体で確かめておきたかった。まだその区間のギア比に迷いがあった。
外はもう暗くなっていたが、えーい行っちゃえと熱海から伊豆急に乗り換え、海岸沿いのコースが始まる辺りの河津(かわづ)という駅で降りることにした。

トンネルを抜けると、そこは雨だった。

時刻は21:00過ぎ。
まさか降るとは思わず、雨具なんか何も持って来ていなかった。バックパックには、スプロケ外しとかロックリング外しとかスペアのチェーンとか、無駄に重い物しか入っていない。
とりあえず熱海方面に走れるだけ走ってみようか…。

真っ暗な道が続く。
そして静岡の雨つぶはデカイ(気がする)。
街灯が極端に少ない夜の135号線は、大げさではなく何も見えない。実際、左肩が何度も崖にぶつかった。半島の東側を北上するので左側に山があるが、南下する方向だったら海に落っこちてクラゲのエサになっていてもおかしくない。今、僕が伊豆にいることは誰も知らない。誰にも知られずに海の藻屑と消えるのはわびしすぎるというものだ。
時おり車が通りすぎる時にだけ道が照らされる。だがその見返りに派手に水しぶきをくらう。その繰り返しでズブ濡れになりながらそろりそろりと走った。
ギア比の参考になんてまったくならず、滝の荒行みたいなライドである。
うわあ、こんなことならボケーッとチェーンに油を差して過ごせば良かった…。
早く熱いシャワーを浴びて、旅館の冷たくて固いシーツで眠りてえなあ……。
そんなことばかり考えはじめた。

そんなライドでどれだけ進んだ頃だろうか、ふと空を見上げると、雨雲の切れ間に星がまたたいていた。
空気がきれいなのか、静岡は星も大きく見える(気がする)。

「ツール・ド・東伊豆」で星を見るのもおれ一人ぐらいだろうなあ……。そう思うと、この自分だけのツールもなかなか悪くないと感じた(15秒ぐらいだけ)。

やっと泊まれそうな町が見えてきた!
熱川。
ちょうど第3ステージのゴール地点でもある。

もう一つのツールド東伊豆 熱川宿探し

時刻はすでに22:00をまわっていた。そういえば夕飯もまだだった。ところどころから湯けむりが立ちのぼっていて雰囲気がいいぞ。坂道をくねくね下って行き、灯りのついている宿を探す。

「すいませーん、一人で素泊まりなんですけど、今日空いてますか?」

と聞くと、
「…うちは格安なので、満室なんですよ。」
「今日は満室で…隣は空いていると思いますが。」
「予約を頂かないと…お布団を敷いたり準備もありますので…。」
「素泊まりとか、そういうのはやっていないんですよ…。申し訳ございません。」

軒並み4タテを喰らった。
布団ぐらい自分で敷いてやるっつーのに。
まあ、びしょ濡れで小汚ないバックパッカーに夜遅く門を叩かれても当然の対応なのかもしれない。僕が宿の人だとしても追い払いたいと思うだろう。
聞くとこの時間で開いているかもしれないビジネスホテルが伊東(25キロ先)と、河津にあるという。
こっちはその河津から這う様にして今やっとたどり着いた所だっつーのに、また自転車で戻れるかコンニャロー!!
……とは言わず、ハラワタが煮えくり返りながらも紳士的に立ち去った。宿の名前は伏せておいてやる。
まだ晩メシも食ってないのに、こっちがクラゲの晩メシになってはたまらない。

自動的に、今夜の宿は決まった。

もう一つのツールド東伊豆 ベンチ

ここらへんの駅は、夜になると無人駅になる様だ。トイレで身体をざっと洗い、やっと一息ついた。
今夜の夕飯、湿った揚げせんべいをボソボソとかじりながら、これからどうするか考える。
ああ…おとなしく熱海で泊まっときゃ良かったなあ……もうこんなとこ二度と来るか!

完全に自分のせいなのに、これは八つ当たりというものである(ちびまる子ちゃんのナレーション風)。

今週はいつも以上に睡眠不足だったが、蒸し暑くてなかなか寝つけず、意味なくフラフラ歩いてみたり時刻表を調べたりした。
何よりも、蒸れたパンツが気持ち悪かった。
昭和の名作漫画、男おいどんと自分が重なった。

それでも深夜、身体中ガリガリ掻きむしりながらもだんだんまどろみ落ちていく。
虫に刺されて全身が山岳賞模様になっていくのを感じながら…。

7/6(土)

5時ごろ目が覚めた。三時間くらいは眠れた様だ。
始発まではあと一時間ほどあり、まだ夜も明けていない。
こんなところでうだうだしていたくないし、ちょっとでも走って目を覚ますか!
これが更にやらかしちゃうことになるとしてもいい、少しでも前に進もうと決めた。

坂をくねくね登り、135号線に出た。
朝もやの温泉街を見下ろす眺めは、とても幻想的だった。荒廃した近未来都市のように見えた。
ある作家が「初めてモナコに行った時、熱海に似ているなと思った。」と言っていたのを思い出した。

もう一つのツールド東伊豆 早朝熱川

さあ新しい一日が始まる。気持ちもリセットしていこう。
数時間前にはハラワタ煮えくり返った町だったが、今はこう言おう。
アリガトウ、熱川。
また来るぜ、今日。

第3ステージのゴール地点であるコンビニを通り過ぎ、第4ステージは135号線をひたすら北上するだけだ。
河津から熱川までも結構アップダウンがあったが、ここから先の海岸線も平坦ではない。ギア比はフリーで2.8ぐらいがいいかな?
まだこりずに作戦を考えていた。

夜が明けてきた。
朝焼けと夕焼けの時間帯を「マジックアワー」とよぶと聞いたことがある。

もう一つのツールド東伊豆 マジックアワー

漁師町を照らす朝焼けはすごくきれいだった。

この風景に出くわせただけでも、
昨日から前乗りして良かった、
一人だけのツール・ド・東伊豆はこの為にあったんだ……!
と思えた。
走りながら、無意識に「きみだけのマジックアワー」という歌が口をついて出た。

♪じょうずに出来るかってことじゃな~~い

「ぼくだけのマジックアワー」
じょうずに出来なかったが、もうすでに愉しいレースになった。

もう一つのツールド東伊豆 ペダリング

当日の集合時間は熱海駅に朝8:00。
レースというものは、スタートする時にはすでに勝負がついているものなのかもしれない。
もし熱海駅前に布団が敷いてあったら、横になって5秒で眠れるだろう。誰が一番早く眠れるか競争だったら優勝する自信がある。
シュワシュワの頭でそんなことを考えた。

伊東駅にフラフラとたどり着いたのが7:00。
熱海まではあと21キロほどあるようだ。一時間で走るにはちょうどいい距離だ。普通のコンディションなら(苦笑)。
そして電車だとあと5駅。

僕は駅のベンチでタオルを乾かしながら、缶ジュースをたてつづけに3本ぐいっと飲み干した。

朝日を横から浴びて、ミドリビンカがギラリと輝いていた。

もう一つのツールド東伊豆 自転車 朝日

僕のツール・ド・東伊豆はここで終わった。

A GARAGE SALE

 

今週末の土曜日にクリオシティ新事務所(通称オペセン)にてガレージセールを行います!

自転車で参加するオリエンテーリングも企画しているので遊びに来て下さい!

飲み食いしながらお買いものしたり自転車乗ったり、

自転車談義に花咲かせたりしながら、まったり土曜日の午後を楽しみましょう!

 

日時:9/12(sat)1200-1700頃まで

場所:Courio-City オペセン (横浜市西区戸部町3-101山口ビル102)

*クリオシティ本社から徒歩1分です。

 

「GARAGE SALE」

HEADS WEBSHOPの在庫一掃&Aサンプル等のSALEします!

各自不要パーツなど持ち寄りでの販売や物々交換大歓迎です!!

500〜3000円程度で大放出致します‼︎

 

 

「ORIENTEERING」(1300-1700)

GARAGE SALE会場から13,14,15,16時の一時間ごとにスタートで

自転車でのオリエンテーリング開催します。

クイズ形式のスタンプラリーのような感じです。

フラっと自転車で遊びに来て横浜観光がてら参加してください!!

Entry Fee ¥500-(1food含む)でどなたでも参加OKです!!

上位の方にはプライズも用意する予定です!

 

その他、メッセンジャーTOMMY氏による淹れ立てコーヒーもありますよ。^^

 

メッセンジャー募集します!

お待たせしました!

いつも不定期で、しかも少人数しかメッセンジャーを募集してこなかったのですが、

この度、数名募集することになりました。

下の求人ポスターは、2003-2005年頃によく横浜中心部の自転車屋さんに貼ってもらっていたものです。

最近見つけたので、せっかくだから復刻させて、また自転車屋さんにお願いに回ろうと思います。

 

recruit_poster

 

写真は、2002-3年頃にロンドン・コペンハーゲン・ベルリン・アムステルダム辺りに行った時に撮った、海外のメッセンジャーたちです。

左上のワルシャワのメッセンジャーは、afri-colaのスポンサーロゴが入ったbagjackを背負っていて、このバッグがカッコよくてね。それから5年後くらいに譲ってもらい、今はクリオ事務所に飾ってあります。(笑)   そう、afri-colaを日本でも飲みたいんですよ!(関係ないけど)

その下はアメリカのジョーで、決して早く走れるタイプではなかったけれど、頭を使ってデリバリーすれば世界大会でも3位に入れることを示してくれたメッセンジャーです。世界中のコミュニティの情報をデータベースのごとくまとめていってくれたのも彼。やり手。

左下の赤いシャツの女性は、後にフォトグラファーになったコペンハーゲンのマリア。カワイイ。

そして下段中央の後ろ向きでしか写っていない彼は、チューリッヒのflashで走っていて、2001年のブダペスト世界大会で優勝したロジャー。

一番下は僕が風呂上りにニュース23を見ながら組んだ32本組の前輪。どうでもいいね。(笑)

自転車担当だけでなく、中型2輪のバイク担当も募集しています。

横浜と東京、それぞれ求人します。詳細はリクルートページを確認下さい。

縁があれば、一緒に走りましょう!

 

仕事納めと卒業と

久々の更新です。(お待たせしました、飯田さん… ^^;)

 

早いもので、2014年も今日で営業最終日となりました。

目の前のことに一生懸命向き合っているうちに、気が付けば通り過ぎていた―。

振り返ると、今年はそんな一年だったように思います。

 

それは、去年から横浜青年会議所(JC)という団体に所属することになり、

地元横浜の街づくりに勤しむボランティア活動が、想像以上に大変だったからです。

 

数年前、ある年輩の方からアドバイスをもらったことがあります。

「自分のことだけで精一杯のうちは、まだ半人前だよ。自分のことはせいぜい7-8割、

残りは社会のために尽くすことができて、やっと一端と言えるんだ」

 

その頃は目の前の事で精一杯、とても他人様のことなど気にできる余裕もなく想像すらできなかったのですが、

我々も昨年創業10年の節目を迎え、

「うちも色々なお客様から必要とされて今日までやってこれた。今なら恩返しの意味でも、そういう事に取り組んでもいいんじゃないか」と思えるようになり、入会してみたのです。

今年担当したのは、毎年6月の開港記念日にみなとみらいで行われている、「横浜開港祭」の企画運営でした。

この事業の主催団体は、横浜市・横浜商工会議所・横浜コンベンションビューロー・そして横浜青年会議所の4団体から構成される協議会で、形式上そこに出向して実行部隊として活動するのが主な業務でした。

チビッ子ミニ駅伝やスタンプラリー、大道芸などのコンテンツの立案・運営、そして打ち上げ花火の際の雑踏警備の責任者として、所轄の警察や警備会社、周辺施設の方々との連絡調整に追われる数か月を経験しました。

確かに、自分のビジネスだけをやっていたら経験できないようなことが沢山ありましたが、

「会社をスタッフに任せて、自分はこんな事をしていていいのか?」

と常に疑問を持ちながらやっていたように思います。

しかし、開港祭も無事に全ての行事が終了し、参加された家族や子どもたちからお礼のメッセージをたくさん頂くと、それまでの疲れも吹き飛ぶようなやり甲斐を感じれましたし、無償で汗を流せる仲間たちに出会え、戦友のような気持ちの繋がりができたことも貴重な財産になったように思います。

忘れてはならないのは、これは会社のスタッフたちや家族が日常をしっかり支えてくれ、余白を作ってくれていたからこそできていることであって、決して自分だけの力でできているものではない、ということ。

 

そして今月、年齢制限上、自分も青年会議所を卒業することとなりました。

その時に、優秀委員賞の表彰も戴けました。

 

これは、クリオシティを支える全員が戴いた賞だと思っています。

10年前は食べていくことだけでも大変だったこの商売が、横浜の経済の一端を担うようになり、少しずつスタッフが増えてその貢献度を広げ、ようやく街づくり活動に参加することができるようになった、というだけでも個人的には感慨深いものがあります。

 

来年以降は、改めて本業である自転車やデリバリーを取り巻く環境に意識のベクトルを戻しつつ、JCで培ったバイタリティーを武器に、クリオシティを更に前進させていく所存です。

 

今年一年間、お世話になりました。

また来年も、どうぞよろしくお願い致します。

年始は、1月5日からです。

 

皆様、よい年末年始をお迎えください。

 

柳川健一

 

こちらにも

前回に続き、今度は櫻井くんが運転しているバージョンにも、うちのリヒトくんが登場していますね。

今回は瞬きしても、まだ映っているくらいの長さにはなりましたが、どこに居るか分かりますか?^^

http://www.nissan.co.jp/NEWS/CM/MOVIE/CAMPAIGN_39.html

 

車のサイドミラーにモニターが埋め込まれて便利になったみたいですね。

もしかして、今後はサイドミラーではなくサイドモニターなんて呼んだりして。

他にも、死角を無くしてくれるようなミラーや、ある一定以上近づくとサイドミラーのランプが点灯して、

何かが接近していることをドライバーに教えてくれるような機能を持った車も存在しますよね。

ちなみに、デリバリー中はこの「車の耳」にハンドルが当たらないように注意して走るんですが、

そのため、自分の自転車のハンドル幅は、肩幅より少し狭いくらいになっています。

 

また、今ではサイドミラーがほとんどで、フェンダーミラーの車はぐっと減りましたよね。

避けやすいっていう理由だけで言えば、フェンダーミラー車がもっと増えてもらえるといいんですが。^^;

 

ride safe,

 

CM 参加情報

公式情報公開を待っているうちに、お知らせが大変遅くなってしまいました・・・。

クリオのメッセンジャー・リヒトがNISSANのCMに少しだけ出ております。

先月からテレビで時々放映されていましたが、気付いた方は何人くらいいたでしょう?

一瞬でしたので、「出演」ではおこがましいので、「参加」と呼ばせていただきます。^^;

 

「よーく目を凝らして」ご覧下さいね。(笑)

http://www.nissan.co.jp/NEWS/CM/MOVIE/CAMPAIGN_38.html

 

日産CM1

 

_3

 

それにしても、車はどんどん進化していきますね。

自分自身が動いて、動かして、注意して、何でもやらないといけない自転車と比べると、

どんどんその差が開いていきます。

依存と自立。

偶然にも、面白い対比ですね。^^

 

メディア関係者の方、何かご相談があればお気軽にご連絡下さい。

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